今日は、「子供の教育と農法との共通点」について綴ってみます。
農法について
慣行農法や有機農法では、土中に養分を加えます。これにより、作物が土中の養分を吸収して生育するという考え方です。適切な種類と分量の養分を与えることにより、作物の生育を促します。また、これらの農法では、病害虫防除の目的で農薬を使います。土の消毒から始まり、生育の段階に応じて農薬を使い分けます。農薬の使用量は、慣行農法、有機農法ともに、作り手によって異なります。
自然農法や自然栽培と呼ばれるものは玉石混交です。自然農法として実践している農法の中には、実は有機農法である場合があります。自然農法や自然栽培という言葉は、提唱者や実践者によってその定義が異なるため、ややをもすると対立的な議論になりがちです。
作物と人間の成長には共通点がある
ところで、私が実践するhalu農法では、畑の土に種を蒔き、条件が整えば自然と芽が出ます。芽が出たあとは、根と土中の共生微生物が手を取り合って成長します。共生微生物が豊かに繁殖できる環境をいかに整えるかで、作物の出来は変わってきます。人間が関わることによって作物の生育を促すこともあれば、抑制することもあります。適切かつ適度な関わりにより、種の持つ遺伝子が本領を発揮してくれるのです。
最近私は、畑で作物が育つ現象と子育てとの間に、多くの共通点があることに気付きました。畑では同じ作物の種類でも、場所(環境)が異なれば生育の具合が変わります。あまり手を掛けすぎると大きく育たず、かといってほったらかしでも育ちません。適度に草刈りをして日当たりを確保し、適度に潅水してやる必要もあります。
人間はどうでしょう。なんと、ほぼ同じことが言えます。母親の体内に命を宿し、母親が適切な養分を摂取するなどの環境を整えることで、時が来れば自ら生まれてきます。これは、蒔いた種の環境が整うことで芽が出ることと同じです。
生まれた赤ちゃんは、自ら母乳を吸って成長しようとします。子供から大人になる過程で様々な学びを重ねますが、育つ環境がその人の人生を大きく左右します。大人があまり手を掛けすぎると健全に育たず、かといってほったらかしでも健全に育ちません。人間の持つ遺伝子は、その2%程度しか使われていないという研究もあります。しかし残り98%の遺伝子は、育つ環境によってスイッチが入るかのように目覚める可能性があり、さまざまな能力の開花に繋がります。環境を整える事の大切さは、まさに作物のそれと同じです。
子供の教育を見直すためのヒントがここにある
冒頭に慣行農法と有機農法、自然農法の話をしました。農法の違いにより、収穫した作物の色や形、大きさ、含まれる栄養価などに違いが出てきます。人間も同様に、教育方法の違いにより大人になった時の健全さが変わってきます。教育方法の議論は農法の議論とも通ずるものがあり、当事者はそれぞれに懸命に取り組んでいますが、決め手となる解決策は見い出せていません。
現代社会を見渡すと、教育方法が適切でなかったために、多くの国民が苦労しているように見えます。
・目先の学力向上の為に過剰に「教育」をしていませんか?
・大人になってから良い仕事に就けるようにと、過剰に何かを強制していませんか?
・それは子供の人生にとって本当に必要なことですか?
・教育を他人に任せすぎていませんか?
私も親としてこうした疑問を持ちつつも、社会の型に合わせて子供に何かを過剰に課せているかもしれません。
現代は、子供との関わりを根本的に見直さなければならない時代を迎えているように思います。私は、子供との適切な関わり方のヒントが縄文時代にあると考えています。縄文時代は一万年以上続きました。彼らに教育という概念があったかどうかは分かりませんが、現代の「教育」という言葉にはない、超、教育的なものがあったことは間違いないでしょう。これからの時代は、教育も適度に自給自足していく必要がありそうです。そのためのエッセンスを、私はhalu農法をから学び取っています。
我が子に間に合うかは分かりませんが、同じような事を感じている人との繋がりと、私自らの実践によって、少しでも社会に変化を促すことができればと思います。
今日もありがとうございました。