里山の朝。雨戸を開けると奴はそこにいた。友人が目を合わせた先にいた奴とは…
オニヤンマ。
それはトンボの王様。子供時代に一度は捕まえたいと野原を駆け回っていたことを思い出した。
小学4年生だっただろうか。私の住んでいた団地のすぐ近くに、未開発の谷津と深い森があった。そこを「つくし野原野」と言って、放課後は日が暮れるまで原野で遊んだ。
歴史漫画の縄文時代を繰り返し読んでいた私。いや、歴史漫画は縄文時代と弥生時代以外、まるで興味が無かった私。
原野は最高の遊び場であり、学び場だった。3つほど上の学年のお兄さんが、同じマンションに住んでいた。お兄さんは、ボーイスカウトに所属していて、その活動場所が原野近くの森の一角に設けられていた。
お兄さんはいろんな事を教えてくれた。秘密基地のグレードアップの仕方、食べられるどんぐりの見分け方、飲める湧き水の場所、木の上の家のつくり方、など。縄文時代の生活の再現ができるお兄さんと遊ぶのが本当に楽しかった。
そんなお兄さんとのお別れの時は突然訪れた。私は小学校5年生の時、両親の都合で隣町に引っ越した。隣町は言っても、自転車で行けるほど近くはない。私はお兄さんとの思い出を辿るように、新しい環境で縄文的な遊びを始めた。でも私はすぐに中学生になり、中学生らしい遊びや勉強、部活をするように、親や世間からの圧力を受けている感じがしていた。
振り返ると、お兄さんも私と同じ事を感じていたのだろうと思う。引っ越す半年くらい前だったと思う、いつものようにお兄さんと遊ぼうと玄関チャイムを鳴らしたが、まったく反応がない。ドアについている郵便受けの蓋を開けて耳を近づけると、お兄さんの母親がお兄さんに何やら言っているのが聞こえた。「いつもまでも小学生と野原で遊んでいないで、勉強しなさい!自分で遊べないと断ってきなさいよ!」今でもはっきりと覚えている。私は小学生ながらも、お兄さんに迷惑だったかな、と思い、この時以降、同級生を誘って原野でサバイバルごっこをする機会が増えた。
お兄さんは、専業主婦と大企業の研究職の父親との間に生まれた一人っ子。金銭的には裕福だったのだろう。自宅にお邪魔すると、整った室内に絵画を飾り、子供部屋には暗室と顕微鏡、天体望遠鏡も置いてあった。極めつけはリビングにあるお兄さんの肖像画。私は子供ながらに、お兄さんの家にお邪魔してから何日かは、一人無声泣いていた。「僕は両親に大切にされていないんじゃないか」だって、お兄さんの様な肖像画もないし顕微鏡もない。今の私だったら「そんなの関係ないよ。」と優しく教えてあげられるけど、当時の私はかなり落ち込んでしまった。
お兄さん、今頃何をしているのだろう。引っ越し後、伝え聞いた話では地域で有名な名門高校に進学したらしい。その後が知りたいが、名前を忘れてしまった。「タケちゃん」の名で親しんでいたから、本名が分からない。
あれから何十年も経ったが、小学生の頃の遊びの記憶は今も色濃く残っている。そして今、父親となってみて罪悪感を持っていることがある。「子供の遊ぶ機会と環境を親と社会が奪っている。」
私の家庭は夫婦共働きで、子供は保育園、学童保育所の世話になっている。親子ともども帰宅時間は19時半頃になり、晩御飯は20時に食べる。子供が自分の興味と意志で遊びを開拓し、冒険する機会が極端に少ない。休日は公園の遊具で遊ぶことが多いが、森や野原に子供だけで入って遊ぶ機会はない。
小さいうちから、小さな冒険を重ねることはとても大切ではないだろうか。自ら行動する積極性、創意工夫する姿勢、自己肯定感の醸成、他者への配慮など、自然の中で友達と遊ぶ経験は、子ども時代の欠かせない要素であるような気がしてならない。でも、現状の生活では我が子にそのような機会を与える事が出来ていない。なんとも罪深い親である。
しかし、悲観していても始まらない。できるところから変えていくつもりだ。
縄文生活。この造語には、現状維持を優先してしまう自分への戒めも込めている。私の初心を思い出せてくれてありがとう、里山のオニヤンマ。