こんにちは。今日は、買う豊かさと、つくる豊かさについて書きたいと思います。
現代の経済社会システムは、お金で物やサービスを買うという行為を皆が行うことによって成り立っています。お金があればたいていの物やサービスを手にすることができます。
面倒な家事は家事代行サービスに任せて、食事は総菜と外食と宅配を利用し、教育は専門家に任せる。旅行はパックツアーやコンシェルジュに組んでもらったプランで行き、住まいはハウスメーカーの注文住宅で建てる。
お金がたくさんあれば面倒なことはプロに任せて、浮いた時間で好きな事ができたり、満足のいくサービスを受けられる。多くの人は、意識せずともこのような考えを多少は持っていると思います。
たいていの日本人は、目の覚めている時間の多くをお金を得るための活動に費やします。一生懸命に働いて得たお金で、満足のいく生活ができている人はそれで幸せです。一方で、一生懸命働いているにも関わらず、一向に豊かさを感じる事ができない人達も多くいます。
生活の為にお金が必要で、お金を得るために楽しくもない仕事を続ける。楽しくもないことには全力を注げないから成果もあまり出ない。結果的に得られるお金も増えない。こうしたスパイラルに陥っている人はとても多いのが現状です。
転職を希望する人をサポートする仕事を19年間していく中で、このスパイラルに陥っている人をたくさん見てきました。でもそれは当然の結果かもしれません。
この社会で生きる以上、日中の時間の多くをお金を得るための労働に使わざるを得ません。生きる為に働くのか、お金を得るために働くのか、なんのために毎日の暮らしがあるのかということを考える余裕さえもないからです。
現代の経済社会システムは、そうした人たちの無数の仕事の積み重ねで造られてきました。
お金で買う豊かさを求めて。
つくる暮らしにシフトするという生き方
ところ変わってアフリカやアジアの特定の地域に行けば、物々交換と主体とした支え合いの村があり、そこではたいていの物やサービスを村の中で完結させています。お金を稼ぐための時間よりも、生活そのものに使う時間の方が圧倒的に多いのが特徴です。生きる上で一番重要な食べ物も、その土地の周辺で賄っています。
彼らは経済的には貧しいですが、そこに住む人たちの瞳は澄んでいます。仲間との絆は深く、他者への想いやりがあり、足るを知る精神を持ち合わせています。食料の確保もままならず生きるのが困難な地域もありますが、そうした場所は除いてのお話です。
日本にも、そうした時代がありました。縄文時代です。縄文時代の人々は仲間とともに協力して食料を調達していました。子育ても家も、生活に必要なものの多くは村の中で自分たちで賄っていました。村人は特定の仕事だけをするのではなく、いろんなことができ、みんながクリエーターでありアーティストでした。この暮らしは1万年以上も続きました。
ところが、大陸から稲作文化が入ると共に暮らしは変化していき、縄文時代のような持続性のある文化は廃れ、争いごとが多くなります。縄文式土器と弥生式土器とを比べると、どちらが豊かな生活であったかは一目瞭然です。
現代も、弥生時代とそれほど変わっていないかもしれません。
毎日の暮らしそのものを楽しむライフスタイルは豊かだと私は思います。暮らしの中で必要な物やサービスを手作りしたり、気の合う仲間と交換したりしていきることができれば最高です。お金を得るための労働という時間の使い方ではなく、生きることを楽しむために時間を使うというスタイル。
小学校に入る前までは、ただ毎日の暮らしを楽しむために生きていたと思います。大人になった今、できることは格段に増えました。けれども、生きることを楽しんでいるかといえば、小学校に入る前の時よりも楽しめていないかもしれません。
今の私の1つの答えは、つくるする暮らしにシフトして暮らしそのものを楽しむことが、豊かさにつながるということ。
それができるように、したいと思えるようになるために、小さいころから自然の中で遊び、いろんなものを作って、いろんな人と触れ合う事がとても大切だと思います。幸い、私はそうした機会に恵まれて育ってきました。
これから私は、暮らしを手づくりするライフスタイルにシフトしていきます。仲間とともに。
今日もありがとうございました。