もう20年ほど前のこと、長野県安曇野にあるペンションシャロムヒュッテで、パーマカルチャーとセルフビルド建築を実践している臼井さんに出会い、私も臼井さんのように何でも自分で作れる人になり、生活と仕事が調和した生き方をするという目標を抱きました。後日、当時の彼女(今は妻)ともその場を訪ね、将来の夢を語り合ったことを今でも鮮明に覚えています。あれから20年以上の歳月が経ち、当時の目標が実現した部分と、そうではない部分とがあります。
当時はまだ学生でしたが、まずは就職してお金を稼がなければと考え、学校卒業と共に就職し、食品工場の設備保守の業務に着きました。そこでは、工場内にあるあらゆる生産設備の故障対応や生産活動の現場から上がってくる生産改善品の製作、排水処理場の運営が私の仕事でした。
その仕事内容は大変面白く、ものづくりが大好きな私にとって、様々な物を作る能力を磨く素晴らしい機会でした。その一方で、余りにも多い業務量と、余りにも険悪な職場の先輩の人間関係という現実があり、長くは務められないと感じる環境。辛いことも多くあったのですが、この職場で私は、溶接、機械修理に伴う金属加工、電気工事、シーケンス制御、空圧機器の制御、ポンプの修理、排水処理場の運営などの実務を経験し、「何でも自分で作れる人」にかなり近づくことができたのです。
その後、結婚を機に前職の経験と前々職の外線電工の経験を生かして転職しました。転職後は生活も落ち着き、生活と仕事がそれなりに調和した状態となりましたが、「なんでも自分で作れる人になる」という目標は今でも変わらずにあります。
結婚以来、夫婦共働きの生活をしてから15年以上の歳月が経ち、子供も生まれ、仕事と生活と子育ての両立をするようになりました。妻もフルタイムの正社員で務めているため毎日はとても忙しく、家族全員が一緒に居られる時間があまりありません。
子供は既に保育園を卒園し、今は学童保育所に通っています。子供は朝7時に学校へ向けて歩き出し、19時30分ころに妻と共に帰宅します。私と妻は朝7時に自宅を出発します。私は19時頃に帰宅して晩御飯の支度をします。
このような生活を5年間続けて、子供達を親の仕事の都合で他所に預けている現状に、疑問を感じるようになりました。このような現状を打破して、生活と仕事の調和をより高い次元で実現させるために、今私は行動している最中です。
子供が生まれてからは、生活に必要なさまざまなものを手作りしてきました。毎日の食事を始め、机や棚や椅子、ゴミ箱、キャンプ用品、ベビーベッドなどの身の回り品、木造のガレージ施工、薪ストーブの施工、一部屋丸ごとリフォーム、電気配線のリニューアル、野菜の栽培など。仕事以外で新しいチャレンジを繰り返してきました。
そして気が付くと、家一軒丸ごと作れる手ごたえがあり、シャロムヒュッテの臼井さんに、かなり近づいた自分がいました。当時の目標だった、「何でも作れる人になる」をほぼ達成しているのです。
そして「生活と仕事が調和した生き方をする」という、もう一つの目標の実現のきっかけを、現状の生活環境が与えてくれているのだと思います。
現状への不満があるからこそ、行動することができます。そして未来への希望と展望があるからこそ、行動を継続できます。
既存の概念に囚われない選択をすることの意味
現代社会は、普通に仕事をして生活していくだけでは貧しくなっていく一方です。企業の利益は、内部留保や一部の経営クラスの報酬、株主の配当に回され、従業員の賃金へ還元されにくくなっています。少子高齢化で人口は減り、医療・介護をはじめとした社会保障費は年々増加し、消費税率もいつの間にか10%に達しました。インフラ老朽化への対応や原材料価格の上昇など、日本を取り巻く環境は益々厳しくなることが想定されます。
このような中で、昭和・平成モデルの働き方と生活様式を継続していく事は、座して死を待つことに等しいと考えます。だからこそ、現状をできるだけ客観的に捉え、今自分に何ができるのかを考えて行動することで未来を切り開いていく姿勢が重要です。そして、こうした行動を選択する人が増えることで初めて、新しい日本の未来がカタチになっていくのだと思います。
私が既存の概念にとらわれない選択と行動を行い、その過程を発信することによって、この世に希望ある選択肢の1つを提供することができるはずです。今後の道のりは自分で創っていくしかありません。私の創る道に共感を抱き、「これは是非真似したい!」と思ってもらえるように、取り組みを前進させていきます。
今日もありがとうございました。