みなさん、どうもこんにちは。今日は、私のブログ「縄文生活」に込める意味を、縄文時代から現代までの歴史を振り返りながらご紹介していきます。
世界的にも稀な縄文時代のライフスタイル
人類は20万年前にアフリカで生まれ、狩猟採取生活をしながら移動と世代交代を繰り返し、世界中に広がっていきました。そして5万年前には、世界人口の定常化を迎えます。地球が狩猟採取生活で養える人口の上限を迎えたからであると考えられています。
そして約1万年前、人類は農耕を発明することにより、単位面積当たりの食料生産量を増やすことに成功し、世界人口は増加に転じるものの、2500年前に再び定常化を迎えます。農耕が支える人口の限界を迎えたからです。
一方、日本では狩猟採取生活が主体で形作られた縄文時代が、約3000年前まで続きました。縄文人の人口は20万人程度で、狩猟採取生活をする民族としてはかなりの人口密度でした。さらに、縄文時代の大きな特徴は、基本は狩猟採取生活でありながらも、定住していたことにあります。
これは世界的に見てとても稀な事象です。世界ではとっくの昔に農耕を始めていたにも関わらず、縄文人は3000年前まで狩猟採取生活を続けていて、しかも定住していました。争いごとの形跡はなく、芸術も文化も大きく発展していたことが明らかになっています。
平和だった縄文時代のライフスタイル
なぜ縄文時代は長く続いたのかという疑問には、だいたいの正解が導き出されています。日本は食料が豊富な環境であったため、狩猟採取生活でも定住することができました。すると、定住している地域で得られる食料と人口のバランスが均衡します。縄文人に現代の様な技術も知識もありませんでしたが、何世代にも渡りその地で生活を続けるための動物的な感覚と知恵は、現代人よりもよっぽど優れていたことでしょう。1万年以上も続いた社会であることがそれを物語っています。
村の中では人々が協力し合って生活していました。生きることそのものが生活の全てであり、働くという概念や、嫌な事でも頑張ってするという概念もなく、自分と自然は一体であり、自分と他人も一体であるというような感覚を抱いていたことでしょう。今でこそ、SDGSや持続可能性のある社会などと言われますが、縄文人はとっくの昔にそのことを、自然の中で生活しながら動物的な直感として理解していたのです。
さらに、縄文時代は広く交易を行っていたことも明らかになっています。数十kmも離れた別々の遺跡で発掘された土器の破片が、ピタリと合わさるという事例があるほか、矢じりの原材料として使われた黒曜石が、産出地から何百kmも離れた場所で発掘される事例も数多く発見されています。つまり、縄文人は狩猟採取生活を主に据えながらも、定住し、交易ネットワークも持ち、目だった争いごともなく平和に暮らしていた事実が浮かび上がってくるのです。
安定した暮らしが長く続くことににより、文化や芸術が醸成されます。八百万の神々を信仰する宗教観もこの時代に生まれたものです。安定した暮らしは、人類を豊かにするのです。縄文時代は皆平等で、分かち合う社会。だから王様もいませんでした。さまざまな見方がありますが、縄文時代は平和で、そこに生きる人々は幸せだったのではないでしょうか。
しかし、こうした平和な暮らしも、大陸からの農耕技術の伝来により終焉を迎えます。米は備蓄できます。富の保存につながり、米をより多く有している者が力を持つという構図が生まれました。これが争いごとの種となり、貧富の格差を生む原因となりました。
農耕により「労働」という概念も生まれ、やりたいことよりも、やらなければならないことを優先せざるを得ない仕組みに、人々は向かわざるを得ませんでした。
縄文時代のライフスタイルが現代に求められる理由
今から300年程前になると、世界人口は再び増加に転じました。産業革命により都市が発展し、物流網も整備され、これまで人が住んでいなかった地域にも人類が住むようになったことが要因です。産業革命は人類を物質的に豊かにする一方で、さらなる争いを生みました。人類はより効率的に労働すること求められ、貧富の格差は苛烈を極めます。
現代はどうでしょうか。技術は大きく進歩し、便利な世の中になりました。医療も発達し、長生きになりました。労働時間も産業革命の時期に比べると短くなっています。けれども、貧富の格差は解消されず、争いごとも絶える様子はありません。むしろエスカレートしています。
労働の観点から言えば、現代人は縄文人と比べて明らかに働き過ぎです。縄文時代には電気も時計もありません。日の出と共に目を覚まし、日の入りと共に床につきました。9時から5時まで働くこともなかったでしょう。生きる上で必要な食べ物は、明るいうちに得る事ができたのです。現代人は夜遅くまで働かないと食べられないことになっています。生きる上での労働生産性は現代人の方が低く、働き過ぎであると言えます。
縄文人は、家も作れば狩猟採取もする、カゴを作れば猟具も作り、子守も料理もする。生活の全ての場面でさまざまな役割を重複してこなし生きていました。一人の縄文人が行う活動の種類は現代よりもはるかに多く、村人は皆ゼネラリストだったといえます。一方で現代人は、専業・分化の極まった社会で生活しています。1年間のうちの多くの時間をデスクワークに費やしてみたり、工場の製造ラインでの労働に費やしてみたり、建設現場での労働に従事していたりするのです。
このように現代人は、1つのことに多くの時間を費やす労働集約的な働き方を通じてお金を稼ぎ、稼いだお金を使って消費するというサイクルを回す社会に生きています。このため教育はスペシャリスト志向になり、大人になったら何らかの職業の専門家になることが当たり前に求められます。
縄文時代にも役割分担はあったでしょう。実際、狩猟は男性の役割でした。男性は女性よりも腕力があるからです。子守は主に女性と子供の役割でした。中には土器づくりの得意な人や、矢じりづくりの得意な人もいたでしょう。それぞれの得意なことや能力が生かされていて、皆で協力して生きることが当たり前の社会でした。危険も隣り合わせだっただけに、自然と自分は同一であるという感覚や、家族や仲間と共に生かされているという実感や絆も強かったことでしょう。
このように縄文時代は、生物学的な男女の違いによる役割分担や、個々の能力の違いによる役割分担が自然とできていました。一方で現代は、行き過ぎた男女平等によりかえって生きづらくなっていたり、スペシャリスト志向の教育によって自分の専門分野を持つことを強要されることに苦しむ人が沢山います。
自分と他人、自分と自然が分断されていて、人口の多い都市に住みながらも、孤独な人も多くいます。個人主義が台頭して、過剰に権利を主張する向きもあります。そして、不幸や不安を解決するための最も効果的な手段が、より多くのお金を持つことだという社会通念もあります。
人類は縄文時代よりもはるかに便利で豊かな社会を手に入れたはずでしたが、事実はそうとも言えない状況です。加えて、もう一つ面白い事実をご紹介します。動物には「うつ病」がないそうです。人間社会の中でも、自然と一体となって生き、お金をほとんど必要のない狩猟採取生活をしているマサイ族やシャン族などの一部の民族には、うつ病がないそうです。この事実からすると、縄文人にもうつ病がなかったことでしょう。うつ病は、自分と自然、自分と他人との調和を失った時に生まれると私は思います。そして、現代日本人のうつ病患者と診療科診療所数の推移も増加の一途を辿っています。
農耕により食料生産性が向上した1万年前、産業革命によって人力以上の物を動かせるようになった300年前、コンピューターとインターネットの発明により、あらゆるものが効率的になってきた現代。人類は短期間の間に技術的な進歩を遂げましたが、縄文時代よりも争いごとが多く、労働生産性は低くなっています。豊かな自然は人工的に作り変えられました。長生きになったかもしれませんが、精神を病む人が増えています。これって、平和と幸せが遠のいているといえませんか。現代社会は本当に良い社会なのでしょうか。
現代社会に希望ある変化の兆し
日本では、150年間の戦国時代の後、徳川政権による260年間の安定した時代が明治維新まで続き、この間、様々な芸能文化、芸術が醸成されています。
そして明治維新以降日本の人口は増加し、経済は拡大してきました。この時期は世界的に見ても人口増加と経済成長のフェーズにありました。第二次世界大戦後、日本は高度経済成長期を経て人口増加を更に加速させましたが、1990年代に始まるバブル経済の崩壊を境に「失われた30年」と言われる経済の低迷期を迎えるとともに、人口も減少へと向かっています。明治維新から150年間の混乱と成長の時代を経て、現代があります。
時代は常に変化しています。歴史がそうであったように、これから日本は然るべき人口と経済規模に落ち着き、定常状態を迎えることになるでしょう。世界もまた、定常状態を迎えるものと思われます。
定常状態の時代は、芸術や文化が豊かになるフェーズです。実際、そのような変化の兆しは、国内のいたるところで見受けられます。物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを求めたり、労働はそこそこにして、家族や仲間と過ごす時間を優先したいと考える人も一定数います。田舎暮らしを望む都会暮らしの人も増えているようです。
若者が就職したがらないことや、就職してもすぐに離職してしまうことが問題視されています。行政はこぞって対策に乗り出していますが、どれも行き詰っています。私は20年近く、職業に就く支援に関わる仕事をしていますが、問題の根本にアプローチすることの難しさを感じていました。30年前まで機能していた社会の在り方は変化していますが、行政も個人も、その変化に対応できていないのが現状です。
そうした中、国内ではSDGSがもてはやされています。企業は新たな収益の機会として利用している向きもありますが、教育現場ではまじめに受け止めているような気がします。特に、高校生や大学生はSDGSに共感して受け入れている印象です。これは、若者がSDGSの様な感性を日頃から抱いてたことの証であると言えます。私のような40代の人にも、そのような感性を持っている人は多くいます。一方で戦後生まれの団塊の世代は、SDGSに消極的な印象です。そしてこの世代が、政治と経済を動かしています。
あと10年もすれば、政治と経済を動かす人々は世代交代の時期を迎えます。このことは、定常状態の時代を迎える事にもつながっているでしょう。SDGSは1つの例ですが、こうした視点は今後の企業活動においても重要です。また、SDGSが掲げる17の目標は、世界の人々からしてみても、理想の世界に必要な要素だと捉えられているものです。
日本は世界的にみてもSDGSに非常に熱心な国の一つです。その背景には、縄文の平和な時代に生きた記憶が、DNAに刻まれているからなのかもしれません。とすれば、日本人は世界を平和と幸せに導くことができるセンスをもっているのではないでしょうか。
次回の記事では、縄文時代のような平和で幸せな生き方、SDGSが掲げる17の目標を実現できるような生き方にシフトするために、個人レベルで取り組めるライフスタイルの改善方法をご紹介していきます。
今日もありがとうございました。