2023年も半年が過ぎました。年初に立てた目標の達成までに残された時間は、あと半年となりました。エンライトの半年間を振り返ると、心身の変化を感じとる能力に磨きが掛かったように感じます。何というか、野生の感が戻ってきた感覚です。実は、エンライトは今年の1月に山納銀之輔さんに会って以来、半年間で複数回に渡って石垣島を尋ねています。
そして、バックムーンと呼ばれる満月の7月3日も石垣島で迎えました。この日は銀之輔さんの魅力に惹かれた25名が集い、銀之輔さんお手製のスペイン料理に舌鼓を打ちつつ、語り歌いました。面白い人、魅力のある人の元には、似たような感じの人が集まってきます。「類は友を呼ぶ」ですね。自分に素直に生きている人、辛い経験を乗り越えて今に感謝しながら生きている人、好きなことに次々と取り組んで、それが仕事になっている人など、日常生活では出会うことがあまりない人達で、それはとても魅力的な時間です。
集った人達の半分くらいは初対面でしたが、昔から知っていたかのような懐かしい気持ちになる人達ばかりで、何とも愛おしい時間でした。そしてその中にはミュージシャンとして活動している人が4人いて、交代しながらギターを片手に人生に対する想いを歌にして弾き語り、締めくくりは皆で「島人の宝」を熱唱して踊るなど、宴は日付が変わるまで続きました。満月の夜に「陽」のエネルギーで満たされるとは、何とも面白い体験です。
日付が変わる少し前、バックムーンの海岸に出ててみると、そこには驚くほど明るい景色が広がっていました。なんと、水平線までくっきりと見えるのです。近くに街が無い環境ですから、純粋に月明かりで照らされた景色です。
そういえば、江戸時代までは太陽暦と太陰暦のハイブリッドの暦が使われていたそうです。「十五夜お月さん」という歌がありますね。江戸時代までの暦では、毎月15日は満月でした。当時は電気の灯りが発明されていませんでしたが、15日だけは月明かりの元に夜通しで祭りをしたそうです。人々が集い、若者は新たな出会いを求めたことでしょう。
石垣島の夜は、遙か昔に生きた人々の心に触れる時間でもありました。
自分に素直に生きることの大切さ
いきなりですが、皆さんは、自分に正直に生きていますか?エンライとは、時と場合によります。ひとつ言えることは、職場での勤務時間中は、自分に素直になっている時間が少ないということです。人によっては、正直な自分の気持ちさえもよく分からないこともあるでしょう。そのような場合は、自分がご機嫌かどうかが1つの判断基準になります。自分の望まないことをしたり、させられたりすると機嫌が悪くなりますが、自分がご機嫌な状態でいる時は、概ね自分に正直であると言えます。
そして、自分の正直な気持ちを表現する手段は様々です。分かりやすいところでは、詩や歌、音楽や絵、踊りが挙げられます。人間が生活を通じて創作するあらゆるものには、全て何らかの想いが込められており、突き詰めていくと「人生や日々の暮らしはアートそのもの」なんだと思います。
感覚的なことなのでうまく表現できないのですが、ご機嫌な状態でつくられたもの(有形・無形ともに)に触れると、心や身体は自然とそれを受け入れ、満たされた気持ちになります。縄文時代を生きた人々は、そのことを意識することもなく知っていたからこそ、装飾性の高い土器や、美しい身体装飾品が日常的に使われていたのでしょう。音楽や踊りも日常生活の一部だったはずです。
平和な社会の実現のためには、1人ひとりが「自分に正直に生きること」そして、「創造の楽しさで遊ぶこと」が不可欠です。14,000年続いた縄文時代が、そのことを証明しています。
しかし、現代社会はそれとは真逆です。消費が楽しいことだと思わせ、創造の楽しみだけでは生活などできないし、生活するお金も入ってこない。辛く厳しい労働を、汗水流して我慢してやることでお金は稼ぐものだ、という価値観が蔓延っています。消費が楽しいことだとすれば、消費するために必要なお金を辛く厳しい労働で稼ぎ、そのお金を消費の楽しみに使うという悪循環に陥ります。
そうはいっても、人々が自分に正直に、創造の楽しさで遊ぶことをやり始めたら、社会が回らないのではないかと思うかもしれません。でも確実に言えるのは、エンライトは、そうした生き方ができたら純粋に楽しいだろうなということです。なので、ブログにこうしたことを書くだけではなく、実際の生活の中で実践しています。
石垣島で過ごした時間と仲間から、【そろそろ、「自分に正直に生きること」、「創造の楽しさで遊ぶこと」に、全集中して生きていいんだよ。】というメッセージをもらったような気がします。
生きているって、本当に素晴らしい!今日もありがとうございます。